千葉和男の美術
美術評論家 瀬 木 慎 一
この画家の描いたものを私が初めて見たのは、1991年の銀座・資生堂ギャラリーでの個展においてである。
他のほとんどすべての人も同様である。
彼は、大学を終えたあと、12年間の教師生活を経て、1983年にスペインに赴き、それからの11年を、北部
アストゥーリアス地方のジャネスという小さな町に住んで制作した
―― その経歴で明白なように、それまでは、
自国で作品を発表する機会がなかったからである。つまり40歳を過ぎてからの異例に遅い発表である。
その後は、関東と東北の各地で個展を継続するが、東京における新作の発表は6〜7回であり、まことに悠然と
した歩調を保持している。そのことは、作者の丹念で時間を要する作風を見れば、おのずから理解できるだろう。
その作風の特徴は、空間表現の大きさと対象の不動性にある、と要約できようか。画面の大小にかかわらず、そこ
に拡がる視界は際限ないものを必要な範囲で切り取った、という感じであり、時に、対象が相当な面積を占めることが
あるとして、それはしばしば周囲から孤立し、断片的でもあり、背景に対してはむしろ小さめにすら感じられる。しかし、
この空間内の特異なバランスは、絶対に変えられない緊密性を保っている。そして、いかに無描の部分が広くとも、
それは単なる余白ではなく、そこにあるものの存在感をより良く作動させるためにも必要な、物理的である以上に心理
的な背景であることが、熟視するうちにおのずから判然としてくる。
もう一つの特徴である対象の不動性は、描かれたものの多くが建物や静物であることによって当然と言えば当然で
あるが、その場合でも、周囲にはつねに空気、明暗、雲、水などが動き漂い、それらに包まれて、けっして硬直してい
ない。いや、対象が不動のものであることと、静止していることとはまったく別物であり、それらは風光に反応しつつ、
内面から微妙に生動していることを見逃してはならない。その最高の状態を見据えて捉え、作者は、揺らぐことない
決定的な画像を創出して提示する。
このような画家の視点を鋭く感じ取る時、鑑賞者はその絵画にある種の共感の閃光が生じるのを認めることになる。
そして、その閃光によって浮かび上がるのは、現実にありながら、それを超えようとする鮮麗な象徴の光景である。
改めて見ると、画面に描かれたものは、自然にしても、建物や静物にしても、すべて、どこかに存在すると思わせるもので
あり、空想の産物は皆無に等しい。そのような普通の物に触発されて、一人の画家が絵画のマニュアルに従って描写し
たものが、それにもかかわらず、どうして普通のものではなくなるのか。
それこそが、今述べた閃光の照射によるもので、あるものは、いったんすべての日常性を捨象されると、崇高にも、神秘
にも、無類にも、また光輝あるものにも、それ自体を変容する。一つの建物は、一体どこにあるとも知れず、なにが中にある
のかも定かでなく、どれも無人であり、これ以上近づくことも入ることもできず、森巌として半ば超越的な印象を与える。この
不思議は、器物、静物、人物の場合でも同様であり、単なる絵画技術の結果ではありえない。
この極度に昇華されたイメージを、詩情、精神性、あるいはメタフィジックの現れなどと人々はさまざまに形容する。
そのいずれも可能と思われるが、それよりも、その根底にあるものの方がもっと重要であるように私には思われる。
冒頭でいささか辿った経歴が如実に示すように、この画家は、別段、彗星として出現したものでもなければ、その同類
でもない。20年余に及ぶ自国の美術界との無縁と異国の僻地での制作への没頭によって彼が得たものは、同時代か
らの刺激ではなく、風土や歴史から緩やかに汲み取ったものであり、それも特定の何かを規範としていない。そこに育
まれた象徴的な光景は、むしろ、私的な想念に近いものであり、彼の孤心は、その落ち着きと安らぎの空間を、つねに
その方位に求める志向を示しているように見える。
そのように、自分のなかに蓄積したものに基づいて、自国で作品を発表してからすでに16年、この間一貫している無心と
自重によって、その蓄積にはより多くのものがおのずと積み重ねられたにちがいないと思われる。今後、この画家が、それ
を持ち前の強靭な持続力を発揮して、さらに豊かなものに結実することを私は望まずにはいられない。
(美術評論家)
新たな創造への挑戦
― 千葉和男の現在 ―
小川 英晴(詩人・美術評論家)
T
私が初めて千葉和男に出逢った日からすでに25年が経とうとしている。当時、私は単身ヨーロッパに渡り、
詩人として生きるための明確な指針を探し求めて旅をしていた。その途上で私はするどい眼光とユーモアを併
せ持つ千葉和男に出逢ったのである。あの頃、千葉は泡立つ想いを秘めて悶々とした日々を過ごしていた。描
きたくても描けない。そして何よりも描くべき主題が見えては来ない。千葉もちょうどスペインに来たばかり
で、いまだ腰を落ち着けて仕事する環境にはなかった。それでも内に秘めたる気配は何げない会話からもひし
ひしと伝わってきた。友人との会話にも千葉はよく気配りをしてはいたが、おそらく心はいまだここにあらず
といった状態だったのだろう。千葉の眼差しはいつもどこか遠くを見ていた。
その日から千葉との交友が始まった。その間、千葉の個展を通して多くの魅力的な作品に出逢い、その都度論
ずるべき衝動に駆られたが、しかし今日までそれを語らずにきた。千葉の仕事と真正面から向き合うためには、
私なりの時間がどうしても必要だったからである。そして今回、私が千葉を論ずるにあたって私が何よりも留意
したことは、どれだけ作品生成の深部に分け入り、それを解き明かすことができるかというその一点にあった。
ある日、人は何ものかの衝動に駆られて旅に出る。しかし、その衝動の正体は容易には見えてはこない。それ
は自分探しの旅でもあるからだ。自らの生命にひそむ遥かな想いに導かれて人は旅をし、荘厳な神殿や美しい街
並に出逢い、そこでいつの日か見たなつかしい風景に出逢う。しかし、その風景をよくよく想い返せば、それは
生まれてはじめて出逢った風景なのだ。生まれる以前の遠い記憶が、美しい風景をかりていまここに甦ったとで
も言えばいいのだろうか。そこに人は初めて見た風景にもかかわらずなつかしさを感じたのである。古生物学者
の三木成夫はそれを〈生命記憶〉と呼んだが、人間には代々受け継がれてきた記憶が回想される瞬間がきっとあ
るのだろう。そのような名状しがたい衝動に促されて千葉和男もまたスペインへ渡ったに違いない。何処へ行く
のかいまだわからず、何処から来たのかさえ定かではない人生という旅の途上にあって、千葉和男はなによりも
目前に広がる眩いばかりの大地に魅せられたに違いない。
スペインの大地は人の血を吸って成長する、と言ったら言い過ぎだろうか。今も大地は夥しい死の上にあるわず
かばかりの生のかがやきによって成り立っている。赤茶けたスペインの大地。色鮮やかに色づいて突然に暮れる
地平線。自然と人間とのきびしい戦いのなかで勝ち残ったわずかばかりの生。その生さえも危うい大自然の営み
のなかにあって、かろうじて生き残った遺跡や古い街並。その美しい光景に千葉が自らの夢想を重ね合わせたの
も当然のことと言えるだろう。
スペイン各地には、アルタミラを始めとする有史以前の洞窟画がある。人間はなぜに絵を描くのかという原初の
想いがここにはあって、それが現代人の夢想をときに激しく掻き立てる。純朴な線やかたちに秘められた心惹か
れる魅力は、いったい何処から来るのであろう。それは彼らの生活からか、あるいは生き方からか、いずれにし
てもそこには生命の躍動感があり、単純さゆえの明快さがある。太古の洞窟に記された絵は遥か彼方の遠い出来
事に過ぎないが、画家もまた描くことによって無意識裡に「自らの原風景」を求めているのであろう。画家の誰も
が原風景に至れないにせよ、そのかすかな気配や面影を通して、私たちは稀にではあるが生命の深部にいまもひ
そかに眠りつづけている原初の風景を、回想することができるのである。
千葉和男は風景を単に風景として観ているのではない。おそらく風景を通して自然の摂理を読み取ろうとしてい
るのだろう。一木一草にも神の意思は宿り、大気の中にさえ神の意思は存在する。大自然のうねりはたえず生成し
つづけて、この画家の胸中にまで押し寄せてくる。そういう大いなる自然の摂理によって私たちもまた生かされて
いるのだということ、その壮大な物語を読み解こうと、いまも千葉は幾億年もの大地の熱い想いを読み取りながら、
孤独な戦いをつづけているのだ。それゆえ自然を通して偉大な神の摂理を読み取ることは、決して哲学者や宗教家
だけの仕事ではない。
ときに芸術家は独自のやり方でその摂理を直感し作品へと昇華する。
それに千葉の描く作品にはつねに真摯さが息づいている。その真摯さゆえ観るものもどこか襟をただして作品と
向き合わなければならない。描く途上で内容は整理され、突き詰められ、やがて背景は消去したもので埋めつく
される。そのとき背景は虚空となり、大地となり、風となり、光となる。この段階で徐々に作品には生気が宿り、
作品は深みと透明度を増してくる。過剰なまでの意識の集中が今度は逆に潜在意識を呼び覚まし、さらに深い意識
下へと画家の筆を誘う。心地よい感覚に抱かれながら、自らのうちに熟してくるものがそのときようやく意識の表層
へと浮かび上がる。それは根源的なイメージが長い時間を経て画家のもとへと訪れる一瞬である。そのとき色彩は
内面的深みを帯びて画面は徐々に無彩色へと近づいてゆく。それと同時に意識の純度は増し、画面はさらに目に見
えぬ世界を明らかにしてゆく。
天と地が分かたれ、そこにひとつの世界が出現する。たとえば過酷な自然を生きぬいてきた巨大なオリーヴの出現。
それは自らの裡なる美を通して新たな神話が生まれる一瞬でもある。その貴重な一瞬を画家は決して逃すことはない。
自然界の光と影が精神の光とときに交差し、ときに結ばれ、また再び互いに逸れて、それぞれのあるべき場所へと
至る。そうして絵画は完成する。
描くということは、実は風景や静物に姿をかりて自らの裡なる混沌を明らかにしてゆくことではないだろうか。
そもそも描くということは事物の正確な描写を通して自然界の生みだすリズムを発見し、法則を発見し、その変容
をも発見することにある。ときにそれは壮大な寓話や神話と結ばれ、大地と天空との間に生じる壮大な交響曲となる。
そのためには私たちの裡なる生命記憶を呼び覚ますことがどうしても必要となってくる。一木一草がその契機とな
ることもあれば、太古の遺跡が回想のきっかけになることもあるだろう。五官を通して感じ取った世界は、色彩を得、
構図を持ち、幾重にも想いの層を塗り重ねることによって、やがて太古の想いへと至る。
それは遥かな画家の旅でもある。そのとき過去と現在は一本につながり、作品はついにひとつの寓話となる。しかし、
画家はその想いを描くことはできてもそれ以上のことを語ることはできない。なぜならばそれは描くことによってし
か見えてはこない世界でもあるからだ。風景を美しいと想うその一瞬に、おそらく私たちは幾億年もの大地の想いと
共鳴しているのであろう。風景が画家に何かを語りかけるまでひたすらに待つ。集中して待つ。しかし時間は無慈悲
に過ぎてゆく。街や教会、それに一本のオリーヴでさえ内なる世界を隠匿したまま、在るべくして在るに過ぎない。
はたしてここに一本の木の立つべき必然性はあるのか、徐々にではあるが在るべき意味が見えてくる。風景に真新し
い風が吹き抜ける。千葉が腰をすえて描くために、おそらくスペインでの2、3年は瞬く間に過ぎてしまったことだ
ろう。大地と一体になるためには、なによりも大地とひびきあうための無心さが必要となる。千葉の描く風景がある
種のなつかしさを隠し持つのは、それはこの画家が自らの生命記憶を通して、いま此処に、かっての彼方を甦らせよ
うとしているからであろう。それは移り変わる風景のうちにひそむ不変の摂理への憧れであり、自らが芸術という結晶
を生みだすために通らなければならない儀式でもある。そのようにして生みだされた作品に、千葉は神の意思を見た
のであろう。
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「現代美術」「現代音楽」「現代詩」など「現代」を冠したものから急速に古びてしまうのはなぜなのだろう。おそらくそこには
未来においてなつかしい感情をひきだす大切な何かが欠けていたからだ。パブロ・カザルスは『カザルスとの対話』のなかで
現代音楽について次のように述べている。
もし慣れることが理解に必要なものならば、何年もまえからある無秩序な音楽は世に広まるにはじゅうぶん時間があったわ
けだ。このような音楽に関して公衆が離れるのは、それが新しいという事実のせいではない。聴衆が、このような音楽には
人間的な暖かさが欠けていると感じるからである。
新しさが価値を持つために必要なものを「現代芸術」は必要とはしてこなかった。そこにはなによりも大切な人間性が欠け
ていた。アングルは「純粋で自然な美は、もう新しさでひとを驚かす必要はなく、それが美であるということで充分なのだ。
しかし、人間は変化を愛してやまない。そして、芸術における変化は、多くの場合頽廃である」と述べている。
現代芸術は単にスタイルの多様さだけでは飽き足らず、危険な刺激や官能を求めて、内面の毒をも芸術の重要な要素とし
て取り入れてきた。しかし、デカルトが言うようにいまもって「驚きは悪しきものでしかありえない過度の感嘆に過ぎない」
のかもしれない。
レオナルド・ダ・ヴィンチやレンブラント、それにフェルメールやベラスケスなどの天才たちから受け継がれてきた芸術上
の財産を、真正面から受け継いでゆこうとする画家はもはや少ない。しかし、「現代芸術」に疑問を持つ少数のアーティストが
いま一度伝統に立ち返り、それを拠り所にして新たな仕事を始めているのも事実だ。私はいつの時代にあっても芸術上の王道
が必ずや存在すると思っている。それがたとえ少数に過ぎなかったとしても、彼らこそが正当な美の継承者なのだ。伝統へと
連なる道はきわめて厳しく、名作の立ち並ぶ絵画の歴史に新たな足跡を残すのは至難の技だろう。だが、勇気を持って立ち向
かわなければならない。その孤独な格闘こそ実は本物の芸術家にのみ与えられた使命でもあり、試練でもあるからだ。
いま、スペインの地にあって、千葉和男は時間をかけて人間性の根源に立ち返り、偉大な先人たちの仕事を遥かに仰ぎ見な
がら仕事をしている。それゆえ千葉の描く風景のその先にあるのは、現実の風景よりむしろ先人たちの偉大な仕事にあるとい
えよう。かって偉大な先人たちが寓話や神話を拠り所としてあらたな神話を創出したように、千葉にもそのときが刻々と近づ
いている感がしてならない。千葉が日夜寝食を惜しんで仕事をするのも、そのことを本能的に千葉が実感しているからに違い
ない。そして作品をほんの少しよくするために、どれほどの努力が必要かということを誰よりもこの画家が知っているからだ。
熟成のための時間はもちろんのこと、距離をおいて自らを客観的に観るための時間。それにさらに奥深い世界を出現させるた
めの時間などである。その為に生活のリズムはすでにあり、あとはこのリズムを通してひとすじの啓示がキャンバスの上に降
りてくるのを待つばかりだ。
千葉和男の作品はどれも具象と抽象性との微妙な均衡によって成り立っている。一つは描写を徹底的に突き詰めて対象を
抽象化したもの。「アランフェス・ソルイソンブラ」、「プラジャ・バジョータ」、「ジャネス近郊風景」、「コビエージェス・
アゴスト」、「クエスタ・海へ」などの作品。もう一つはその抽象性の手綱を多少とも緩めた「エル・モリーノ」、「カソン・
ロッハ」、「ルイーナ」、「ムーロ」、「ジャネスクエ風景」、「パイサツヘ・オリーボ」などの作品がそれにあたる。その中でも
やむにやまれぬように生まれた作品、「オカーニャ」の二つの球体は特に注目に値する。この抽象的で地球によく似た球体は、
やがて一連の「ペラ」などの静物画にも生かされることになる。おそらくこのあたりの作品が中心となって、今後新たな展開を
見せることになるだろう。その中でも特に「インテリオール・一人」はこのタイプの代表作と呼んでいい。もう一つは抽象と
具象を融合させつつ東洋的空間を意識した作品、「パイサッヘ・ロッハA」、「エスパイルダの光景」、「フローレス・ムエル
タス」、それはのちに「コビエージェス・アゴスト」などの作品にも表れるが、近作の「ペラ・デ・ウェルタル」などの作品に
すがたかたちを変えて生かされている。それに背景の一部に東洋的装飾を施した作品、「バンヌーナ」がそれにあたる。
このタイプの作品には琳派の作品を想起させるが、西洋的遠近法によらず抽象性を高めることによってかえって新鮮さを引
き出している。それにもう一つ具象、抽象、省略、消去によって主題を際立たせた作品に「エスカレーラ(階段)」、「パレ
デス(階段のある光景)」、「アランフェス・初夏」などの作品である。ここではある種の軽妙さと視覚的効果が巧みにブレン
ドされている。
どの作品も厳しいデッサンが基本となっているが、すぐれた作品を生みだすためにはやはり丹念に描き込み、そののち不必
要なものを消去し、主題を浮かびあがらせるより方法はない。つめの厳しさと相反するほっと息を抜く空間づくりが今後の
課題となるだろう。今までのスタイルを踏襲しながら、千葉はさらに新しいスタイルを生み出してゆくことだろう。だが、
ここで重要なことはスタイルの多様さよりも内面の深化にある。
それに見えるものだけでなく、目に見えぬものまでも描くということ、それは実は描写を通して自然の摂理を掴むことにあ
る。おそらく自然の摂理は一個の梨にも一切れのパンにも息づいているに違いない。画家は最も得意とする方法で対象と向き
合い、その本質へと迫ってゆく。ひとつの境地へと至る過程で目覚めた愛に導かれ、作品にひとすじのひかりが差し込むとき、
作品は新たな展開を迎えるだろう。画家を支えているのは愛であり、その愛によって私たちはこの世に生かされ、また生きる
ことをゆるされているのである。芸術においては歓喜や感動ばかりではなく失意や絶望さえもが、ときに料理における苦味、
辛味、酸味のように格別の味わいとなる。それゆえ画家としての経験はものごとの見方に幅と奥行きを与え、やがて慈愛の眼
差しを生む。
V
画家が原初の光を求めて旅をするのはかってあったはずの楽園を無意識裡に回想しているからではないだろうか。原初の光
ばかりではない、この画家は同時に原初の風景をも求めてデッサンを重ねる。その風景は私たちのとおい記憶の彼方に忘れ去
ってしまった思い出の風景に重なる。眠っている〈生命記憶〉を呼び覚ますために、画家は内なるリズムによって風景のリズ
ムを読み取り、自らの内なる世界を明らかにしてゆくしかない。それでも原初の風景は容易には見えてはこない。湧きあがる
イメージをただひたすら描きとめる。そのイメージはなぜかとても単純なものだ。それでいてどこかなつかしい姿かたちをし
ている。それが一本の木であっても、見慣れた建物であっても、原初の光は画家に今日も描くことを静かに促す。描くという
ことは、どこかその深い集中からとき放たれて別の空間を生きるあの感覚とよく似ている。私であって私ではなく、それでい
て普段の私自身より無垢で透明で自由な感覚。もしかしたらここにこそ描くことの本質があるのかもしれない。気がつけば画
家はいつも同じような風景を描かされていることに気がつく。なぜか常にそこに立ち帰らずにはいられぬ風景。そこにはおそ
らく原初の風景の一端が宿っているのだろう。描くということは毎朝顔を洗い、歯を磨き、朝食をすることと同様に自然なこ
とだ。描くことは生活であり、日々のその生活を通して少しずつだが描きたいものが見えてくる。気負えば作品は固くなり、
気をぬけばたちまち生気のない作品になる。まこと作品は正直でそれ以上の何ものでもない。それゆえ画家の生活を覗き見て
も別段新しいことは見つからない。しかし、心の中には今まで目に見えなかった世界が眠っていて、そこには汲めども尽きぬ
世界が脈脈と波打っている。そこでは一個の洋梨さえもが地球と同等の重みを持ち、やがてそれは画家の内なる宇宙となる。
千葉の描く世界はある種の単純さが支配している。けれどそれは単調であることは基本的に異なる。それは多くの不純物を
排除した後の抽象化によって成り立っているからだ。初期の段階で描き込んだものを消去するのはなぜなのだろう。やはり自
然の摂理はいくたびとなく塗り重ねたり、消し去ることによってしか見えてはこない。無意識裡に自然淘汰が行われているの
だ。それに必ずしも自然界の現象がすべて事物の本質を示しているとは限らない。むしろ自然の生みだす様々な光景に眩惑さ
れてしまうことの方が多いだろう。注意深く雑多なものをとり省くことによって、自然界を成り立たせている目に見えぬ法則
がうっすらと見えてくる。神の眼差しと画家の眼差しとが無意識のうちに重なり合い、ひとつの啓示が生まれる一瞬である。
その一瞬に一本のオリーヴは過去と未来を超越して宇宙とつながり、そこでひとつの象徴となる。
今後も千葉和男は自らの想い描いた世界を明らかにするために描きつづけてゆくだろう。ときにはひと筆も入れることなく、
絵の前で深い眠りに落ちることもあるかもしれない。しかし、その心地よい眠りにこそ実は創作への大切な鍵が秘められてい
る。極度の集中の後にくるあの独特の眠りは、深い覚醒を伴って宇宙へと通じる深遠な誘いでもあるからだ。その意識下の風
に吹かれていま一度自らの作品と向き合うとき、画家は光に満ちた作品のなかにひとすじの啓示を見る。それはとある一瞬に
やってきて、瞬く間に去ってゆく幻のように儚い。それゆえ誰ひとりその一瞬を支配することはできない。ただ、日々勤勉に
仕事をしているものにときたま神は微笑みかけてくれるきりである。しかし、その微笑の何というすばらしい感動に満ちてい
ることか。その祝福されてある一瞬を求めて、今後も千葉の仕事はつづくだろう。そしていつの日か、画家はひとつの境地へ
と至る。その見果てぬ旅の途上に、いま千葉和男は立っているといえるのである。
存在そのものを描いて
[対談] 千葉和男
永井龍之介
スペインの風土
永井 この6月に、私どもの画廊で千葉先生の個展を開催させていただきます。
それに引き続き、仙台の2会場でも展覧会を行うことになっています。
千葉先生と私とのご縁は、昨年、気仙沼のリアス・アーク美術館で作品を拝見したことから始まるんです。
失礼ながらお名前は存じ上げない方だけれど、心に残る深い絵をお描きになる方だなぁ、と・・・。ぜひ機会が
あればお目にかかりたいと思っていました。
千葉 実際にお会いしたのは9月。みゆき画廊の個展のときでしたね。
永井 そうですね。その後、私が仙台のアトリエにお伺いしたりしておつき合いが始まり、今回の展覧会の運びになった
のですが・・・。お伺いしたとき、先生のスペイン滞在時のお話が強く印象に残っているんですよ。スペインにいらっ
しゃったのはどのくらいですか?
千葉 11年ですね。35から45歳までです。
永井 滞在を決めたのは、パリからアフリカへ旅行したとき偶然スペインを通りかかって、風景に心を動かされた、とういう
ことでしたね。
千葉 そうです。パリにはそんなに強い印象はなかったのですが、スペインに入ったら、街や野原、石ころのひとつまで、
描きたいものがあふれていたんですよ。しかも「いい景色だから描かなきゃ」じゃなくて「描きたい」という感じ。
どんどんイメージが湧いてきて、これは百年かけても描ききれないな、と思いました。
永井 その気持ちが分かります。私もパリに2年間滞在していましたから。自分と土地の出会いの瞬間なんですよね。
千葉 そうですね。それぞれの人に応じた土地との出会いがありますね。私がおもに住んでいたのは、北スペインの
ジャネスという村です。作家の堀田善衛さんが滞在していたアンドリン村の隣りなんです。そのときは3年くらい
かな、と思っていたんですが、結局それから11年も滞在することになりました。
転機となったアルタミラ壁画
永井 スペインではアルタミラ洞窟の壁画をご覧になったのが大きい体験だったとか・・・。
千葉 そうですね。油絵の本質に触れた、と思うとても大きな体験でした。
永井 その辺のことをお伺いしたいんですが。
千葉 アルタミラの洞窟というのは鍾乳洞で、狭い通路を抜けていくと、奥まったところには野牛の画があるんです。
ところがこの画は平面に描いていないんですね。半球状の岩の塊の上に描かれているんですよ。それを見た
とき、モヤモヤしていたものがいっぺんで分かった気がしたんです。あ、そうか、平面絵画を成立させているも
のは「在る」ということへの果敢で積極的な肯定なんだ、と。
永井 なるほど・・・。
千葉 それくらい、その牛の存在感は圧倒的だったんですね。写実とは、ものの姿を写すのではなく、存在そのものを
描くことだ、とスッと納得できました。
永井 理屈じゃなくて、体感されたんですね。
千葉 そうですね。それまで平面に自分はいかに描くか、ずっと考え続けていたんです。ヨーロッパという、他ならぬ
油絵を生み出した風土の中で、やっと答えが出たんですよ。
永井 感動的なご体験だったでしょうね。そういう経験があって、先生の絵の個性ができた、ということがわかりますね。
先生の絵は、私はやはり日本人の絵だと思うんですね。油絵の本質をつかみながら、画面の中にあたたかみが
あるんです。向こうの人の絵は冷たいんですね。そうした包容力と画面の奥ゆきが、絵の魅力のひとつになって
いると思います。
“地球人”のアイデンティティ
千葉 ところが日本に戻ってきたら、どうしてスペインの風景ばかり描くんだ、と言われましてね。日本人としての
アイデンティティはどこにある?なんて。
照れくさいからまともに言ったことはないんですが、僕はこんなふうに考えているんですよ。僕が見たものや
心を打たれたものを描くことがアイデンティティになる、と。
永井 そうですね。日本人だから日本的表現をしなければいけないということはないですね。日本に滞在している
或るアメリカ人画家が話してくれたことがあるんですよ。外国人が日本を描くと、すぐエキゾチシズムだなんて
言われる。でも自分は純粋に日本の風土から感銘を受けて描いているんだ、と。
だから、あえていうなら、“地球人”と言った方がいいんでしょうね。どこの国の人であろうと、自分の心を動か
したものを作品に表現していけばいい・・・。
千葉 そうでなければ、見る人の心も動かないと思うんですね。
永井 歌舞伎など伝統芸能の世界で、世襲制でなった役者も、親の代から伝統をそこで一度、リセットするんです。
リセットして自分が発見したもので再スタートする。<DNAの記憶>や<親からの血統>だけではダメなんです。
自らの発見が大事だと思います。それが普遍的な表現につながってゆくんですね。
千葉 しかしリセットするのは本当に難しいことですが・・・。
永井 先生は自らスペインへ出発し、自ら油絵の本質をつかんだわけです。それも感動と興奮を伴って。
素晴らしいリセットです。私はささやかなフランス体験でしたが、私なりにリセットできたように思います。
千葉 あんな田舎の気仙沼の美術館まで足を運んでおられるので、驚きました。僕はスペイン時代は画商が
ついていたんですが、日本に戻ってからは消極的なつきあい方しかしていないんです。ただ、いい絵を
描いていれば、そのうち自分が思うような出会いもあるかな、と。今回、こういう機会をいただいたので、
満足のゆくものをお見せできるように専念したいと思います。
永井 私がいつも思うのは、いい絵があるというのももちろんだけど、それ以上に人間どうしのお付き合いの
部分が大きいんですね、こういう仕事は。
画家と画商そしてお客さまと、最後は人間どうしのつながりがうまく回転していくかどうかです。私はTV番組の
収録で地方に行くこともあるのですが、地方では絵を手に入れたくても、画廊やデパートなど扱う場が少ないんですね。
でも、いい絵と出会いたいという潜在的な要求はとても強く感じます。これを機会に、先生の絵を日本の各地の
方々に見ていただきたいですね。
「月刊美術」2005年5月20日発売号より